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| 更新年月日 |
2009/10/14 |
| 正式社名 |
(株)日本エアシステム |
| 略称 |
日本エアシステム |
| 読み方 |
にほんエアシステム |
| 業種分類 |
空運業
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| 略称JAS、東急系列、国内ローカル線が中心。2002年10月旧日本航空(JAL)と経営統合 |
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氏名 |
就任 |
生年月日 |
出身地 |
| かな |
退任 |
没年月日 |
出身大学等 |
| ※備考 |
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富永 五郎 |
1964/5就 |
1904/12/4生 |
秋田県 |
| とみなが・ごろう |
1972/8退 |
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下村 彌一 |
1972/8就 |
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1973/10退 |
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京都大学法学部 |
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田中 勇 |
1973/10就 |
1905/1/20生 |
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| たなか・いさむ |
1983/6退 |
2000/2/12没 |
東京工業大学(旧東京高等工業学校) |
| ※東急グループの大番頭 |
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窪田 俊彦 |
1983/6就 |
1916/9/28生 |
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1987/6退 |
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眞島 健 |
1987/6就 |
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| ましま・たけし |
1995/6退 |
2001/4/13没 |
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船曳 寛眞 |
1995/6就 |
1933/4/1生 |
岡山県 |
| ふなびき・ひろみ |
2003/6退 |
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明治大学商学部 |
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森川 實 |
2003/6就 |
1936/2/5生 |
北海道 |
| もりかわ・みのる |
2004/4退 |
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中央大学法学部 |
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小松原 光雄 |
2004/4就 |
1937/12/22生 |
神奈川県 |
| こまつばら・みつお |
2005/4退 |
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早稲田大学政治経済学部 |
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羽根田 勝夫 |
2005/4就 |
1943/1/23生 |
東京都 |
| はねだ・かつお |
2006/10退 |
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慶應義塾大学経済学部 |
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1952年7月日東航空株式会社設立。(資本金5,000万円) 1952年9月富士航空株式会社設立。(資本金1,000万円) 1953年6月北日本航空株式会社設立。(資本金5,500万円) 1953年11月東亜航空株式会社設立。(資本金1,000万円) 1964年4月日東、富士、北日本の3社合併で日本国内航空株式会社設立。(資本金34億8,000万円) 1971年5月東亜国内航空設立。日本国内航空株式会社と東亜航空株式会社が合併。資本金95億2,500万円。 1987年3月株式を東京店頭市場に登録。売買開始。 1988年4月社名を東亜国内航空から「株式会社日本エアシステム」(英文名:JAPAN AIR SYSTEM CO. LTD)へ変更。 2000年8月日本エアシステムに社名変更後、総旅客数が2億人を突破。 2002年10月(株)日本航空システム、JASグループを含む新JALグループ発足を前に、東京・大阪・名古屋の3株式市場に株式を上場。 2002年10月持株会社である(株)日本航空システムを設立。代表取締役グループCEO(兼)社長に兼子勲が就任。同時に新JALグループの「企業理念」を制定。 2004年4月日本航空(株)が日本航空インターナショナルに、(株)日本エアシステムが日本航空ジャパンに、各々社名変更し再編、JAL/JAS完全統合体制発足。
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| 1964年日東航空、富士航空、北日本航空が合併して日本国内航空を設立、1971年東亜航空と合併して東亜国内航空(略称TDA)となる |
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1952年7月日東航空株式会社設立。(資本金5,000万円) 1952年9月富士航空株式会社設立。(資本金1,000万円) 1953年6月北日本航空株式会社設立。(資本金5,500万円) 1953年11月東亜航空株式会社設立。(資本金1,000万円) 1964年4月日東、富士、北日本の3社合併で日本国内航空株式会社設立。(資本金34億8,000万円) 1971年5月東亜国内航空設立。日本国内航空株式会社と東亜航空株式会社が合併。資本金95億2,500万円。代表取締役会長に下村彌一、代表取締役社長に富永五郎が就任。本社を羽田日本航空メンテナンスセンター(東京都大田区羽田空港1丁目9番1号)に置く。 1971年7月丘珠発函館行63便YS-11 JA8764“ばんだい号”函館北方横津岳山腹に墜落。乗客64名、乗務員4名全員死亡。 1971年10月スチュワーデス、地上職員の制服を一新。 1972年2月本社移転。 1972年日本航空メンテナンスセンターから第18森ビル(東京都港区西久保明舟町28番) 1972年6月“ばんだい号”遭難者一周忌法要(於東本願寺函館別院)および慰霊碑(七飯町前横津岳に建立)除幕式を行う。 1972年8月初のジェット化路線となる東京=大分線をB727型で運航。 1972年8月代表取締役会長に田中香苗、代表取締役社長に下村彌一が就任。 1972年10月TDAスカイコール(初のオンライン予約システム)稼動。 1973年5月デ・ハビランドDH-114-TAW(タウロン)屋久島=種子島線を最後に路線から退役。(JA6162、JA6163) 1973年10月代表取締役社長に田中勇就任。 1973年10月DC-9型機体新カラーマーキング“レッド&グリーン”に決定。 1973年12月DC-9-31型が東京=釧路線に就航。 1974年3月DC-9-41型1号機(JA8423)東京国際空港到着。 1974年4月DC-9-41型が東京=大分線に就航。 1974年10月深夜便、東京=福岡の“ムーンライト”便を最後に運休。 1974年12月丘珠空港から千歳空港へ施設展開完了。業務開始。 1975年1月B727型 大分=東京線336便を最後に路線より退役。 1975年3月東京=札幌、東京=福岡両幹線をDC-9-41型で開設。 1975年5月東京=長崎線をDC-9-41型で開設。初のダブルトラックが実現。 1975年8月沖縄海洋博開催期間、大分=沖縄線、宮崎=沖縄線、長崎=沖縄線をDC-9-41型で運航。 1975年9月山陽新幹線の開通により、大阪=広島線を運休。 1975年10月スチュワーデスの制服を一新。(セルリアン・ブルーへ変更) 1976年3月YS-11型機体カラーマーキングを“レッド&グリーン”へ変更開始。 1976年6月1975年度決算で、初の単年度黒字計上。 1976年10月グランド・ホステスの制服を5年ぶりに一新。 1977年2月千歳空港にボーディングブリッジの代替として、旅客輸送専用バス「オートラウンジ」を導入。 1977年4月名古屋から初の定期路線、名古屋=長崎線、名古屋=仙台線をDC-9-41型で開設。 1977年7月1976年の年間定時出発率が世界のDC-9型運航会社の中で最も優秀なものとして評価され、ダグラス社から表彰される。 1978年7月ダブルトラック3路線、東京=函館線、東京=熊本線、東京=鹿児島線を、DC-9-41型で開設。 1979年6月1978年度決算で累積欠損を一掃。 1979年11月新予約システム「スカイコールV」稼動開始。 1979年12月エアバスA300型機体カラーマーキング「レインボーカラー」採用決定。 1980年12月エアバスA300 1号機(JA8464)東京国際空港に到着。 1980年12月「日東航空整備株式会社」設立。 1981年1月1971年7月「ばんだい号事故」以降安全飛行記録を継続し、100万時間を突破。 1981年2月DC-9-81型1号機(JA8458)東京国際空港に到着。 1981年3月A300型が東京=鹿児島線に就航。 1981年DC-9-81型が東京=三沢線に就航。 1981年5月創立10周年。 1981年10月通信・運航システム「TDAフライトコール」稼動。 1982年3月羽田大型ハンガー完成。 1982年6月A300型搭乗旅客が100万人を達成。(101便札幌行き旅客) 1982年7月羽田空港から目的地を知らせないミステリーフライト「アルカディア号」を運航。(DC-9-41型とYS-11型) 1982年10月天皇陛下ご一行は、島根県下で開催された第37回国民体育大会秋季大会にご臨席のため、特別機(東京=出雲線)にご搭乗。(天皇陛下のTDA機ご搭乗は今回がはじめて。) 1983年6月代表取締役社長に窪田俊彦が就任。代表取締役会長に田中勇が就任。 1983年7月日本エアコミューター株式会社、第3セクター方式で設立。 1983年12月日本エアコミューター(株)へ奄美関係4路線を移管。 1984年1月皇太子殿下ご夫妻は、釧路市で開催された第39回国民体育大会冬季大会にご臨席され帰路、釧路―東京間の定期便138便にご搭乗。 1984年9月8月の搭乗旅客実績が、1,023,159人と初めて100万人を達成。 1984年10月皇太子殿下ご夫妻は、岩手県で開催された第8回全国育樹祭にご臨席のため、東京―花巻間の定期便231便にご搭乗。(お帰りは10.15花巻―東京間の定期便234便にご搭乗) 1985年1月MD-81型機体カラーマーキング3色(赤・青・黄)のレインボーカラー採用を決定。 1985年3月筑波科学博会場へヘリコプター旅客輸送を実施。(羽田=筑波、羽田=成田、成田=筑波間で9.16まで実施。) 1985年4月MD-81型1号機(JA8496)、東京国際空港に到着。 1985年5月MD-81型が東京=帯広線、東京=三沢線へ就航。 1985年9月航空宅配便「TDAレインボーサービス」を開始。 1986年4月エアバスA300-B4型1号機(JA8237)、東京国際空港に到着。 1986年9月初の国際線チャーター便、大阪=ソウル間をDC-9-81型で運航。 1987年3月株式を東京店頭市場に登録。売買開始。 1987年4月国際航空運送協会(IATA)に加盟。 1987年6月代表取締役社長に眞島健が就任。 1987年11月総合情報システム「スカイコール」稼動。 1988年1月1987年の旅客実績が初めて1,000万人を達成。 1988年3月ソウル支店および成田空港支店を開設。 1988年4月社名を東亜国内航空から「株式会社日本エアシステム」(英文名:JAPAN AIR SYSTEM CO. LTD)へ変更。 1988年4月DC-10-30型1号機(JA8550)、東京国際空港に到着。 1988年6月MD-87型1号機(JA8278)、東京国際空港に到着。 1988年6月MD-87型、東京=帯広線に就航。 1988年6月第25期定時株主総会で初配当を決議。 1988年7月初の国際定期便、成田=ソウル線をA300型で週5往復開設。 1988年機内誌「ARCAS」創刊。(隔月発刊) 1988年7月東京=沖縄線をDC-10-30型およびA300型で開設。 1988年10月地上職およびスチュワーデスの制服を一新。 1988年12月大阪空港におけるYS-11型路線のジェット化を開始。大阪=奄美大島線、大阪=青森線がジェット化。 1989年3月1987〜1988年の間で出発信頼度等において、世界のA300型運航会社の中で最も優秀なものとして評価され、エアバス・インダストリー社から「A300型優秀オペレーター賞」を受賞。 1989年5月天皇、皇后両陛下、第40回全国植樹祭ご臨席のため、特別機(東京=徳島線)にご搭乗。(お帰りは5.21) 1989年8月シンガポール支店を開設。 1989年10月コンピュータシステムをJRのマルスシステムとドッキング。みどりの窓口で航空券発券開始。 1990年2月成田=シンガポール線をDC-10-30型で週2往復開設。 1990年7月天皇、皇后両陛下は、青森県下で開催された第10回全国豊かな海づくり大会にご臨席のため、特別機(東京=青森線)にご搭乗。(お帰りは7.23) 1990年7月本社を第18森ビルから第37森ビルへ移転。 1991年5月創立20周年。 1991年6月成田=ホノルル線をDC-10-30型で週2往復開設。 1991年6月A300-600R型1号機(JA8375)、東京国際空港に到着。 1991年6月米国・カリフォニア州ナパに、パイロット自社養成のための訓練所をオープン。 1991年7月天皇・皇后両陛下は、長崎県の雲仙普賢岳噴火による被災地をお見舞いのため、東京―長崎の定期便361便にご搭乗。 1991年7月A300-600R型が東京=札幌線、東京=青森線に就航。 1991年8月客室乗務員の英文呼称を「スチュワーデス」から「キャビンアテンダント」へ改称、運用開始。 1992年3月ヘリコプター事業部が40年に亘る長い歴史に終止符。(解散) 1992年5月天皇・皇后両陛下は、福岡で開催された第43回全国植樹祭にご臨席のため、特別機(東京=福岡線)にご搭乗。(お帰りは5.13) 1992年11月新情報システムが稼動。 1992年チェックインシステム等の導入により処理能力を2倍にした。国内旅客総合システム、国内貨物システムを構築。 1993年1月釧路沖地震の災害支援のため、1月17日から1月26日まで、札幌=釧路間を毎日1往復臨時便を運航。 1993年4月名古屋発花巻行451便DC-9-41型JA8448機は、花巻空港着陸時ハードランデングにより火災が発生し大破。乗客72名、乗務員5名、計77名が搭乗していたが、乗客2名、乗務員1名が重傷。 1993年10月国際線搭乗旅客が100万人を達成。 1993年10月天皇陛下は、徳島・香川両県で開催された第48回国民体育大会にご臨席のため、特別機(東京―徳島間)にご搭乗。(お帰りは10.27の高松―東京) 1994年4月羽田空港の機体工場見学制度がスタート。 1994年6月成田=ホノルル線運休。 1994年7月千歳・羽田・大阪・福岡の4空港において「アドバンス・チェックイン」を開始。サービス内容は、営業開始時刻より当日の最終便まで全便の座席指定と手荷物受託の搭乗手続きを行う。 1994年9月関西国際空港が開港。10路線、14往復就航。 1994年9月満65歳以上のお客様を対象に、「らくらくVIPサービス」を開始。 1994年9月大阪国際空港からのYS-11路線が終了。日本エアコミューターへ路線を移管。 1995年1月兵庫県南部地震の災害支援のため、救援物資の無償空輸や臨時便を1月18日から4月10日まで1,219便13万9,717人を輸送した。 1995年3月成田=シンガポール線を運休。 1995年6月代表取締役社長に舩曳寛眞が就任。代表取締役会長に眞島健が就任。 1995年7月天皇・皇后両陛下は、「戦後50年慰霊の旅」のため、特別機にご搭乗。(東京―長崎―広島―東京: 〜7.27) 1995年8月「JASチッケトレスサービス」始まる。 1995年サービス内容は、予約時にカードで航空券の購入が出来、当日、カウンターへカードを提示することで、チェックインが出来る。 1995年9月近畿日本ツーリストとの共同企画による国際プログラム・チャーター「JASピーターパンフライト」がスタート。 1995年10月関西=広州線をA300-600R型で開設。 1995年11月MD-90型機体カラーマーキング決定。デザイナーは、映画界の巨匠 黒澤明監督。テーマは、「日本の朝」「日本の空を彩る七色の虹」。 1996年1月MD-90型1号機(JA8064)、東京国際空港に到着。 1996年3月航空機では世界初の女性用トイレ、花の香り「フローラル・ルーム」のサービスを開始。 1996年3月YS-11型ラストフライト。(南紀白浜=東京線996便) 1996年4月MD-90型、東京=長崎線、東京=帯広線、東京=青森線に就航。 1996年4月インターネット等を通じて、B777型のカラーマーキングを一般公募。 1996年9月パソコンを使った予約・チケットレスサービス「JASとON-LINE」を開始。サービス内容は、従来の電話での予約をパソコン通信に切り替えた。 1996年10月天皇・皇后両陛下は、広島県下で開催された第15回国民体育大会秋季大会にご臨席のため、特別機(東京=広島線)にご搭乗。(お帰りは10.13) 1997年1月DC-9-41型が三沢=東京線224便を最後に路線より退役。 1997年1月株式会社ハーレクィンエアを設立。 1997年1月B777型1号機(JA8977)、東京国際空港に到着。 1997年4月客室乗務員新制服着用。地上職員は6.1夏服より。 1997年4月B777型が、東京=福岡線(1日2往復)、東京=札幌線(1日1往復)に就航。 1997年シートは、スーパーシート12席、レインボーシート38席、レギュラーシート330席の日本初の国内線3クラス設定。 1997年6月関西=香港線をA300-600R型で週4往復開設。 1997年9月日本初の機体広告塗装機「JASポカリスエット号」A300-600R型(JA8562)国内主要路線に就航。 1997年9月株式会社北海道エアシステム設立。 1998年1月JAS国内線の一部をハーレクィンエアによりウエットリース運航開始。 1998年4月本社移転。虎ノ門第37森ビルから羽田メンテナンスセンター1へ。 1998年7月国内線の全便全席禁煙を実施。(国際線は2000年10月29日から実施。) 1998年8月新自動チェックイン機(SCM)を導入し運用開始。 1999年1月成田=香港線をA300-600R型で週3往復開設。 1999年3月関西=昆明線をA300-600R型で週2往復開設。 1999年4月成田=広州線をDC-10型で週2往復開設。 1999年4月成田=西安線をDC-10型で週3往復開設。 1999年4月関西=西安線をA300-600R型で週2往復開設。 1999年8月DC-9-81型が、奄美大島―東京行548便を最後に路線から退役。 2000年3月関西=ソウル線をA300-600R型で週6往復開設。 2000年3月DC-10型ラストフライト。(ハーレクィンエアのチャーター便、鹿児島―関西) 2000年8月日本エアシステムに社名変更後、総旅客数が2億人を突破。 2000年創立からの累計旅客数は、1999年度に3億人を突破。 2000年10月鳥取県西部地震の災害支援のため、旅客を対象とした東京=出雲間の臨時便を10月6日から10月7日の2日間、MD-81型で1日2往復運航。 2001年5月創立30周年。 2001年8月国際線就航13年目を迎え、国際線定期便の総旅客400万人を達成。 2001年10月創立30周年を記念して実施した「JAS鳥の絵コンテスト」の受賞作品を機体に描いた「JASフレンドリーバード号」が就航。 2001年11月日本航空(株)および(株)日本エアシステムは経営統合を前提に共同持株会社を設立することで基本合意に達し、今後具体的な検討に入ることを発表。 2002年4月成田=昆明線をA300-600R型で週2往復開設。 2002年4月成田=上海線をA300-600R型で1日1往復開設。 2002年8月日本航空(株)と(株)日本エアシステムの「国内線統合時刻表」を2002年10月分より発行。 2002年9月新JALグループのロゴを発表。 2002年10月(株)日本航空システム、JASグループを含む新JALグループ発足を前に、東京・大阪・名古屋の3株式市場に株式を上場。 2002年10月持株会社である(株)日本航空システム(本社:東京都港区港南2-15-1)を設立。代表取締役グループCEO(兼)社長に兼子勲が就任。同時に新JALグループの「企業理念」を制定。 2002年10月JALグループの旅客販売会社として(株)ジャルセールス発足(JAL旅客販売会社ジャルセールスネットワーク社名変更し、JAS旅客販売部門を譲渡) 2002年11月JALグループの新デザインを塗装した機体が完成し、JAS M2ハンガーで機体披露会を開催。航空事業各社の機体デザインを「The Arc of the Sun(太陽のアーク)」を基調にした統一デザインに決定。 2002年4月日本航空(株)と(株)日本エアシステムの国内路線を再編成。 2003年4月(株)ジャルストーリーと(株)ジャスナイスウイングが合併し、(株)ジャルツアーズ設立。 2003年4月新JALグループ機内誌「skyward」創刊号発行。 2003年6月日本エアシステム代表取締役社長に森川實就任。 2003年8月日本エアシステム本社移転。羽田メンテナンスセンター1から天王洲JALビルへ。 2003年11月天皇・皇后両陛下は、奄美群島日本復帰50周年記念式典にご臨席のため、特別便を運航。(〜11.17) 2003年11月(株)日本航空システム本社をJALビル(東京都品川区東品川2-4-11)に移転。 2004年3月整備本部ドック整備担当部「ISO14001」認証を取得 2004年4月日本航空(株)が日本航空インターナショナル(社長:羽根田勝夫)に、(株)日本エアシステムが日本航空ジャパン(社長:小松原光雄)に、各々社名変更し再編、JAL/JAS完全統合体制発足。
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| 日本航空 全日空 日本エアシステム 日本貨物航空 スカイマーク 国際航業ホールディングス パスコ アジア航測 日本エアコミューター |
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